どうやら第二の思春期が来たらしい。

見た目はリア充完全武装。心は荒んだクリスタル。アラサー独女の日々。

結婚は更新制にすれば平和だろって独身の伯父が言ってたって話

 

 

伯父(66歳  独身  バツなし)が、なかなかわたしみたいな突飛な事を言っていた。

我ながら、さすが親族。

人間は、思想をも血をひくらしい。

 

伯父の突飛な主張を語る前に、まずはわたしの伯父という人物を語らねばならない。

この男、結構な逸材である。

 

 

趣味:ナシ

特技:ナシ

エピソード1:東京の名門大学在学中にインドネシアに留学。日本のバイクが国の文明開化の一任を担っていた当時、現地の人にホ○ダの社長だと嘘をつき最高の接待をさせる。

 

エピソード2:世界旅行に興味を持ち、初心者には超危険といわれるリオのカーニバルに1人で向かう(ホテル予約なし)も、なぜか行きの飛行機の中で日系ブラジル人に気に入られ、タダで1週間泊めてもらう。しかも超金持ちの豪邸。

 

エピソード3:県職員として30年程品行方正に勤めるも、「つまんね」という理由で50代も半ばでイキナリ辞める。

 

エピソード4:某市の市長に気に入られ、辞めたあとも、パチンコ一緒いこーよと誘われる(県内だと市民にバレるためわざわざ県外に連れてかれる)

 

エピソード5:若い頃冷やかしで勤めた高級家具屋で創業以来最高の売り上げをたった1人で叩き出す。

 

エピソード6:過去2人の女性から逆プロポーズされるも「別に」つって断る。

 

エピソード7:人生で唯一結婚を考えた女性をガンで亡くす。

 

エピソード8:終の職場に選んだ養護学校では大勢の生徒に好かれ、男の生徒と2人っきりで毎週プリクラ撮りにいっている(伯父の車内で発見)

 

エピソード9:「なんか帰り道通りかかったら楽しそうだったから、様子見」つって、若者が行くズンズン系音楽のイベントがやってるクラブに行く。

 

エピソード10:「あずき」を「こまめ」と読む。本気で。

 

 

 

と、あげたしたらキリがないからこの辺でやめておくが、目の前のことに正直で、憎めない人柄だと言うことはお分かり頂けただろう。

そういうところはわたしとは真逆である。

ひねくれてっから。わたしは。

 

 

で、そのスーパー自分に正直伯父が、

この前、「お前なら分かってくれるはずだ」と前置きをしたうえで、こんなことを訴えていたのである。

 

 

「ずっと何年も前から仲間内には話してるのに、みんな全然理解してくれない事なんだけど、俺思うんだけどさ、結婚は運転免許と同じで更新制にすりゃ平和だと思うんだよね

 

------結婚は運転免許と同じで更新制にすりゃ平和だと思うんだよね------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚は運転免許と同じで更新制にすりゃ平和だと思うんだよね

byスーパー自分に正直伯父

 

 

 

 

 

 

ふぇッΣ(゚д゚lll)

 

 

 

別に今まで結婚観について話し合ったことなど一度もないのにいきなり何を言い出すのかと、たじろぐわたしをよそに正直伯父の目は真剣だ。

 

 

正直伯父の主張はこうである。

・人間は変わるものなので離婚はしょうがないがそこで必要以上に揉めるのは野暮だ

 

・俺は今まで幾人もの友人の離婚相談に乗ってきたが最後はみんな何かに取り憑かれたように自分を見失ってる。あれまじでめんどくさい

 

・籍を入れると簡単に抜けない、生活においてあらゆることが変わる、というその制度が離婚を余計めんどくさくさせてるに違いない

 

・だから運転免許と一緒で、結婚というものを例えば5年に一度の更新制にすれば揉めずにすむ

 

 

もう一度注意しておきたいのが、これはあくまで大真面目な主張だということだが、

しかしここでひとつ疑問が浮かんでくる。

 

例えば、片方のみが更新を望んでいて、もう片方は更新を望んでいない場合はどうするか

ということである。

 

正直伯父の弁明はこうだ。

 

だから、更新時に何項目かの試験があって、それを満たせば結婚生活延長。満たさなければ法的に離婚ということにすればいい。運転免許だってそういうような制度だろう。

 

 

ほう。

なんだか妙に納得せざるを得ないが、たしかにこうすればめんどくさい云々も無くなるし、

バツ1やバツ2」などバツが付いたって、それほど「過去にやらかした感」は感じないだろう。

それに、

更新を望んでいない方を納得させようと、更新を望んでいる方はもう一度やり直すために躍起になって、結果としてそれがきっかけで改善するかもしれない。まあそれはハッピーエンド事案だけど。

 

 

しかしだ。

それはあまりにも機械的すぎやしないか、

いやていうかそもそも結婚の話なのに、初めから離婚をセットにして訴えられると

話がスッと入ってこない。

てか、待て。流してたけど、お前ならわかってくれるはずだっていう妙な前置きはなんだ。(結婚する気ないと思われてるのか。)

 

まあでも確かに、最初は誰もが夢膨らませて婚姻届を提出するに違いないし、

けどいつの間にかこんなはずじゃなかったって壁にぶちあたるし、

それは必ず感情的な問題がどんどん複雑化して行って、収集がつかなくなってドッカーンみたいになってくし、

ならば初めから、免許更新制と言うガイドラインを作ってしまった方が平和なのかもしれない。

その家はこうだけどうちはこうじゃない、隣の芝は青く見えてしまうという状況が余計感情に絡まってしまうけど、ガイドラインにのっとればめんどくさいことにはならない。

 

 

ホント真剣に、かつ正直に話す正直伯父の「どう思う?」に

すぐ回答はできなかったけど、とりあえず家族のつながりは軽薄なものになりそうだなぁと、彼氏の顔をぼんやり思い浮かべながら思った。

根っからの独身気質な伯父の主張を、独身のわたしは少なからず、う〜んわからんでもないな。と思いながら聞いたけど、

当たり前のように結婚して家族を得ている友人たちからは真っ向から否定されるって言ってたから、

人間ってどんな人でも分かり合えない生き物だけど、特に未婚者と既婚者との間の壁は結構高いのかもしれない。

 

SNS疲れのアラサーがインスタ辞めて変わった3つの事

 

モバゲーに始まり、

mixiツイッターFacebook・インスタ

 

様々なSNSに手を出しては、疲れて途中放棄してきた。

mixiFacebookは退会できず(パスワード再設定すらめんどくさい)に放置し、

ツイッターに至ってはその当時の職場の上司(男)とツイッター上だけでなんか妙な仲の良さになってしまい、気持ち悪くてめんどくさくて退会した。

 

インスタだけは、続いたほうだったけどやっぱり最後は疲れてめんどくさくなってこの前退会した。

今、わたしの心は非常に軽くなり雑念がなくなった。

だって別に人の食った飯とか今日のコーディネートとかネイル変えたマツエクかえたとか本当は別に興味がなかったし、

わたしに直接的になんの利ももたらさないものだった

ということがやっとわかったのだ。

いや、分かるべき時が来たというべきか。

 

今日は、わたしがSNSをやめて本当に良かったと思う事を書き記そうと思う。

 

 

 

【目次】

 

 

 

 

 

 

①時間を有効的に使えるようになった

インスタで、わたしは実に391のアカウントをフォローしていた。多すぎ。

友達、有名人、猫、好きなブランドやショップ、なんか美味しそうな飯作ってる人、世界の色んなとこ放浪してる人、腹と体重晒してダイエットしてる人、

ありとあらゆるアカウントをフォローしていると、

空いた時間にインスタを見るのも一苦労。

 

スクロールしてもしても追いつかず、フォローアカウントが増えれば増えるほど、

空いた時間にとどまらず、飯食ってる最中まで見てしまう現実。

キモい。

いや、みんなじゃなくて、わたしが。

目の前の飯に集中しろやって思う。

 

その時間がゴッソリなくなったのだ。

どうなったか?

 

家での空いた時間には片付けや掃除をするようになり

移動時間には本が読めるようになり

ご飯の時間はご飯に集中できるので食べ過ぎなくなり

 

結果として綺麗好きで博学のほっそり女性になりつつあるのである。(うまくいけば)

とても豊かな時間を送っていると体感している。

 

 

②欲しい情報は自分で取りにいくようになった

これはインスタをわたしよりも先に辞めた友達が言っていたことだが、わたしも同じだった。

 

スクロールしていると、べっつに要らん情報がわんさか目の前に差し出され、べっつに元々興味のなかったことまで詳しくなったり、べっつに仲良くない友達の結婚出産を知ったり、なんだ落ち着かない気持ちになっていた。

 

それが、もし本当に知りたいことがあったら、

本で調べたり、店に直接出向いて聞いたり、友達にLINEして近況を知り久しぶりに会ったりするようになった。

 

実際に自分から動いて得た情報は忘れない

ので、身についてる!という感じがして気持ちがいいのだ。

他者が動いて発信した情報を自分は動かないで見るという一連の行為が、いかに受動的な行為だったかやっと思い知ったのである。

ただスマホの画面を見ただけなのに、知った気でいるということのなんとリスキーなことか。

 

 

③判断が自分基準になった

やれゴールデンウィークだ、誕生日だ、クリスマスだと、

いつもの自分よりも格段におしゃれで充実していて金かけて楽しんでいるときを

ここぞとばかりに1アカウントにつき2〜3枚ぐらいはアップするから、

それを数百アカウント分、一年間で何度も繰り返していると、

 

このキラキラで充実して、めっちゃ金かけてるのがスタンダードだと無意識のうちに勘違いしてしまう。

そう、無意識に。多分自分でも気づいてない。

 

いざ自分の番がやってきたら、そのスタンダードに乗っ取って進めないと世間よりも格下に感じてしまうのだ。

それでさえも無意識に流されている

 

しかし

その刷り込まれたスタンダードが無くなると、

目の前の自分に集中するようになるので、

自分の充実・好き嫌い・幸せに敏感になり、

それに基づいて物事を選んでいくので、

結果として

心の充実がもたらされる。

 

わたしは、たとえゴールデンウィークに温泉や旅行に行けなくとも、近所のスーパーのミニトマト詰め放題祭りに参加できたので満足です。

まだ残ってる。皮かたい。

 

 

 

 

 

 ・まとめ

以上、読んでいてお気づきでしょうが、

SNS疲れは、自分で勝手に疲れ始めたのであって、

写真をアップしている他者はSNS疲れに対してなんら関係ない。

 

元々自分軸で生きている人はそもそもたかがSNSごときにこんなに振り回されないし、

他者に見てもらう為もあるが、なにより自分がアップしたいからあげてるだけの問題。(商業的利用除く)

 

そうじゃなくて、

わたしみたいにいちいち他人の写真に一喜一憂したり、時間がないのをSNSのせいにしているような人自分軸がグラグラな人

是非早めに辞めてみてもいいと思う。

てか辞めないとそのまんまカラッポになるよ。

けどそういう人に限ってSNS辞めるのって一大事だよね

 

まあーでも、

フォローアカウントあんなに増やしたのも、時間割いて必死に何度もスクロールしてたのも最終的には自分じゃんって気づくから。

 

自分の時間は自分のもんだし、

他人の気持ちも他人のもんです。

 

わたしは結果として

行動力が身についたので辞めて良かったと思っています。

股の毛について本気出して考えてみた。

 

 

股の毛に無頓着な方々に対して、わたしは無条件に軽蔑する。

 

なぜ気にしないのか。

手や足や背中のムダ毛は処理するくせになんで股の毛には無頓着なのか。

 

大事なところだから毛で守っているだなんて、あなたいつの時代を生きているのですか。

動物の皮や毛で作った布纏って裸足で狩猟または稲作してるんですか。

パンツ履いてるでしょう?

 

 

 

すました顔して街を歩くあの人もこの人もあの人も、

股の毛がモーモーに生えているなんて想像すると、変な気分になってくる。

あらゆる分野での近代化が進むこの世の中でなぜ人間の(特に日本人の)股の毛に関しての意識は変わらないのか。

と、哲学的極論に至るまで、考え出したら止まらない。

 

股の毛について、本気出して考えてみた。

タリーズで。

 

 信じられない。

隣でカフェラテ飲んでる女子大生も、喫煙室に入っていったナイスミドルも、モーモーだなんて。

 

 例えば性行為ひとつとっても、

定期不定期関係なく、致す相手がいるまたはこれから出来る可能性があるのなら毛の手入れぐらい常識的にするべきだ。絶対に。

 

性的な究極の行為(動物的とも言う)において、股の毛ほど弊害になるものはあるだろうか。

不必要でしかない。

 

相手のためを思うなら、スネや脇よりも股の毛を処理するべきではないか。

もっとも人間的な考えを持っているのなら、相手の事を考える社会的思想を兼ね備えているはずだし、自分が常識人だと思うのなら真っ先に股の毛は処理するべきである。

それは第一に相手のために。

 だって相手からしたら不快以外の何者でもないでしょう?異論は認めない。

 

 

 

風呂・脱衣所・トイレに落ちてる毛を見るのだって嫌じゃない?

だって濃くて太いし、他の部分の毛よりもやたら存在感があるから、たった一本でも床に落ちていたら妙に目立つ。

わたしだったら、もし招かれた家に縮れ毛が落ちていたらこの人の毛ってこんな感じなんだ、むしろやっぱり手入れしてないんだと思って、そのイメージがずっと脳裏に焼き付いて辛いと思う。

 

とにかく、

医学的・生物学的観点は抜きにして、人間のマナーとして、相手を慮る常識的な人間として、

全剃りしろとまでは言わないけど、整えるぐらいはすべきである。

 

汗だって汚れだって菌だって、よく分かんない諸々だって、普段手で触らないものが付いている(かもしれない)毛の部分を、性行為で相手に触ってもらおうなんて、利己的すぎる。

というか、わたしが疑問に思うのは、

奥ゆかしいと言われる日本人が何故股の毛には無関心なのかという事である。

細かい作業が得意で、それで高度経済成長を乗り越えた日本人が、なぜ自分の陰部には感心がないのか。

 

なぜだろうか。

目覚ましい高度経済成長を遂げている間、子孫繁栄に勤しんでいる間、股の毛にまで気を払っている余裕などなかったのか。

目的がはっきりしているから、それは単なる過程のうちの一部分であって、重要視されなかったのか。

 

今でこそブラジリアンワックスが主流になって、前よりも股の毛について考える機会が増えたが、

VもIもOもツルツルであるわたしが、温泉なんぞ行こうものならすぐに注目の的である。

しかも見つめるその目は、まるで変態でも見るかのような冷たいものだ。

 

わたしは訴えたい。

おかしいのはあなたたちだ。絶対にあなたたちの股はわたしの股より汚い。絶対に。

いくらかわいい下着を纏っていたって、毛の濃さでショーツが盛り上がっているというその根本的なおかしさに早く気づくべきである。

万が一はみ出ていようものなら、人間業を辞退なさった方がよろしいとさえ思う。

テレビを見ている暇があるなら、スマホいじってる暇があるなら、

一刻も早く、少しだけでも股の毛の手入れをすべきだ。

男女限らず。

 

 

美容室に行って髪の毛を整えるのと同じような感覚で、

股の毛を整えるのが普通になる国に日本はなるべきだし、

脱毛業界は背中の毛とか二の腕とか甘いこと言ってねーで、もっと股の毛に特化したプランを全面的に全面的に全面的に打ち出し、新たなスタンダードをつくってくれることにわたしは期待している。

 

 

さあみなさん、これを読んだら鏡の前で自分の股の毛を観察してみましょう。

触ってみましょう。

そして、今まで性行為をしてきた方々の顔を思い浮かべてみましょう。思い出せましたか?

そしたら相手の股の毛も自然と頭に浮かんでくるはずです。

疑問を持ちましょう。

相手の毛、確かに邪魔だったけどわたしの毛も長すぎやしなかったか。匂いはなかったか。ここを、見られていたのか、と。

 

 

何度も訴えます。

股の毛に無頓着なのは、人間として軽蔑に値します。