どうやら第二の思春期が来たらしい。

見た目はリア充完全武装。心は荒んだクリスタル。アラサー独女の日々。

アパレルやってるけど、ユニクロを崇拝している(その1)

ユニクロが好きだ。

いや、大好きだ。

 

もう服は全部ユニクロでいいって割と本気で思ってるから、もはや偏愛と言ってもいい。これを書いている今もインナーとスカートはユニクロのものを着用している。きっとあなたも今日のお召し物の1ないし2アイテムぐらいはユニクロでお買い上げではないですか?

今日は、私のブログを読んでくださる皆様にユニクロの素晴らしさを熱く伝えたい。尚、完全に私の主観で語るので、異論は控えてもらえるとユニクロ狂として大変嬉しい。

 

ユニクロ、LIFE WEAR 

よく言ったもんだ。本当に素晴らしいと思う。この8文字にユニクロのすべてが詰まっている。ここまで老若男女様々な客層に支持される服屋が他にあるだろうか。たとえ老人と若人が同じ服を着ていても何の違和感もない。極寒の地に住む人も、亜熱帯の地に住む人も、同じ店で服を買える。さりげなくトレンドを落とし込み、豊富なカラー展開の中には必ず自分に似合う色がある。素晴らしいと思いませんか?

 

・LIFE WEAR

1日中家にいるぞと決めた休日。今日指定日にしていた宅急便があったんだとピンポンを聞いてから思い出す。やべ、忘れてた。あー、甘いもの食べたいからちょっとローソン行ってこよう。ブラトップは、そんな休日を過ごす女性に軽やかな自由を与えた。

 

最近ロードバイクにハマっている。この街にこんなに坂があるなんて、車を運転している時には気づかなかった。夢中で登りきった坂の上から見える街はなんだか小さく見えた。俺、まだやれる。エアリズムは、そんな不屈な男性の汗を空気にした。

 

今日着ているジャケットは大事なプレゼンのために購入したもの。最近通勤中寒くなってきたけど、シルエットが綺麗だからできるだけ重ね着したくない。それに手首までしっかり袖丈があるババシャツを着たら、ジャケットの袖からチラッと見えちゃうじゃない。ヒートテックは、そんなスマートな女性の見えない味方になった。

 

週に2回のお見舞いが、今の仕事。長年連れ添った妻が入院してからやっと、自分の未熟さに気づいた。病院は乾燥するし寒い。勝手に室温を上げると看護婦さんに怒られちゃうからさ。洗濯ぐらいは自分でできるようになったぞ。これはすぐ乾くから母さんの分も頻繁に洗ってやれる。フリースは、そんな愛に溢れる高齢者にそっと寄り添う。

 

ユニクロ狂の私は、これを書きながらグッときている。自分で書きながら自分で感動している。なんだろう、ユニクロの服って、自分の生活スタイルや自分なりのセンスで着回しがきいて、それでいてカジュアルでもキレイめでも着られて、元々持っていた服とかブランド品とも合わせられて、低価格なのに値段以上の価値を感じるのである。

着る場面、着方、それらを消費者に委ねているから長年支持されるのだろう。

 

 

・まずスキニー

そんな私が一体何をきっかけにこれほどまでのユニクロ狂になったのかと言えば、忘れもしない。始まりは、スキニーなのです。

 

あれは私がまだ中高生だった頃。

巷ではスキニージーンズなるものが流行りだし、タイトなジーンズにねじ込む私という戦うボディを、世の女性たちは太ももから足首まで肌に沿うようなシルエットのスキニージーンズをもって表現していた。

 当時、ファッション雑誌を隅から隅まで読み漁っていた私は崇拝するモデルが着用しているスキニーは一体どこで手に入るのか、雑誌の後ろの方にある掲載商品取り扱いショップリストページを見ては、毎月肩を落としていた。今のようにネットでポチりできる時代じゃなかったから、結局東京に行かないと手に入らない。地方に生まれた私は自分を呪うしかなかった。しかも雑誌に掲載されている商品はどれもこれも高い。私のお小遣いじゃ到底手が出なかったし、親に「スキニー欲しいよ」って言ったところで「スキニーって何」だし、それに小娘のピチピチジーンズに大枚出せるほどの家庭でもなかった。

 

そんな折、週末の折り込みチラシを見ていた私の目に入ってきたのは、まさに私が恋い焦がれ憧れに胸を膨らませたスキニーだった。

ユニクロで、売ってるらしい。

夢にまでみたスキニージーンズが、家からそう遠く無いユニクロで売ってるらしい。

店内の後方に位置していたスキニー売り場の前に立った高揚を、今でも覚えている。雑誌で見たのは全部1万円以上したのに、ここに置いてあるのは3990円。私でも頑張れば買えちゃう。お小遣いで買えるのは1着だけど、母に急かされながらも、どれにしようどの色にしようと悩みに悩み、購入したのはスタンダードなブラックジーンズ。

覚えてる。覚えてるよ。古着屋で買ったレトロなフリルシャツに、あえて甘辛MIXで合わせるという、教科書(ファッション雑誌)で見た公式を自分自身に当てはめたかったからブラックを買ったんだ。

思い出したら当時の気持ちが蘇ってきて泣きそうだよ。

 

全身プリクラにスキニーが写り、後でプリ帳を見ながらそのシルエットに自らうっとりしたし、

ブーツカットを履いている友達から受ける羨望の眼差しも心地よかったし、

スキニーちゃんのために脚やせに励んだ日もあった。

 

結局、履きに履きまくりバイト用のズボンに格下げになるまで、私はそのスキニーを愛用した。多分、ほぼ私の皮膚になってくれていた。

 

ユニクロへの感謝

「ファッションは高価なもの」と教科書で教えられた当時の私に、選ぶ楽しさをプレゼントしてくれた。地方に住んでいる小娘にも、気軽にトレンドを纏う喜びを教えてくれた。どこか高い所にあって憧れるもの、自分とは別の世界のもの、という「ファッション」の存在がユニクロのおかげで身近になった。自分がファッションに近づいたというよりは、ユニクロがあるおかげでファッションが自分目線に下りてきてくれた、という言い方の方が合っているかもしれない。

 

かくして、私のお洋服人生はユニクロのおかげで現在進行形で豊かなものになっている。この前買った大きめのイヤリングを主役にしたいから、まさにこれからユニクロでそれに合うセーターを見てこようかと思っている。アラサーになった今でも、私にとってユニクロはひっそりと佇む名脇役。組み合わせた時に出来上がる自分だけのファッションに、今でも高揚し続けている。

 

その2に続く。