どうやら第二の思春期が来たらしい。

見た目はリア充完全武装。心は荒んだクリスタル。アラサー独女の日々。

コーヒースタンドおしゃれすぎて入れない問題

私が住む地方都市にも、続々と店舗数が増えているコーヒースタンドなるもの、苦手である。

 

 広いとは言えない店内には店主が自らバイイングしたであろうセンスのいい家具が絶妙な配色のもと完璧な空間を作っている。

スタンドと言えど店によっては2.3席ぐらいの座り席があり、そこに座るはこれまたセンスのいい客。この人絶対ハナレグミとか聴いてるよね。

無口っぽい店主は決まってお洒落髭を蓄えており、人によってはレオナール藤田を彷彿とさせる丸メガネをかけている。本人も狙ったのか、素晴らしき乳白色のニットを着ていたりする。

 

いや正直気にはなってる。

数百円のコーヒーでもこんな素敵な空間で淹れてもらえたらきっと豊かな時間を送れるだろうし、何よりこの店に行ったことあるよ常連だよっていう付加価値、いいじゃん?

気にはなってんだよ。けど一人で入るのは無理。一人で寿司もラーメンも行けるけど、お洒落なコーヒースタンドは無理。

一杯淹れてもらっている間に私はこのお洒落無口店主にどんな会話を振ればいいのか、例えば2度目の来店の際はいつもどうも的な顔して伺えばいいのか、仮に店主と会話したとしてハナレグミ聴いてるお洒落客がいきなり会話に混ざってきて今度みんなでキャンプでもしようよとかいう流れになったらどうしようとか、そのキャンプって絶対にアヒージョ作る人いるでしょとか、自意識過剰で本当にくだらない事を無駄に考えてしまうのだ。私、お洒落するのは好きだけど、お洒落な大人こわい。これ以上お洒落コミュニティーを広げたくないのである。

 

という取るに足らない気持ち悪い感情が邪魔をして、結局気になるコーヒースタンドの前をたった数歩で通り過ぎてしまう。

通り過ぎている間に考える。コーヒーって、ほっと一息つきたい時に飲むよね。リラックスするために飲むよね。CMでも、いつでもほっとAGF!言うてるし、コーヒー買う&飲む間に無駄な感情を抱いてストレス溜めたら本末転倒やんね。

無駄な妄想を繰り広げた後にすぐ自己正当できるのは、第二の思春期がなせる技。第一思春期には、できなかった。

 

結局私は数件先のコンビニまたはタリーズで、バイトの女子大生がマニュアル通りに淹れてくれたコーヒーを買う。こじれたアラサーの心に沁み入る。ホット頼んだんだけど、アイスで作ってくれたんだね。美味しいよありがとう、バイト頑張って。

 

誰でもウェルカムなお店も素敵だが、そのお店の雰囲気に自分が合わせるような、足を踏み入れるとカッチリとした空気を感じるようなそんなお店に自然と立ち入れる大人になるには、まだ少しかかりそうだ。

 

 

医者がイケメンなのは迷惑以外の何ものでもない

夏に受けた健康診断の結果がこの前届いた。

 

受けに行くのはめんどくさいと思いつつ、公的に仕事に遅刻できるので健診嫌いじゃない。

心電図を受けるときに、「あ、腹まわりのムダ毛、処理してない」と、看護師の目の前で衣服をまくった時に毎回気づく。時すでにお寿司。腹も胸も露わな武装ゼロの状態で開き直る。忘れてくれ、わたしの毛も顔も。

 

そんなことはどうだっていいのだが(いやよくないかも)、封筒を開けて入っていたA4版の紙にはいかにも危機的状況を物語るような堂々たる赤い文字。

そう、28歳独女、人生で初めて精密検査の収集令状を頂いてしまったのだ。

 

「血液脂質の数値が異常なので直ちに精密検査を受けてください」

2枚目には、わたしの血液成分がどれほど異常なのかが赤裸々にも数値で表された紙が同封されていた。

会ったこともない奴に自分でも分からない自分の部分を数値化され、しかも理路整然と異常だと否定され、それを安安と納得する者はいるのだろうか。

赤裸々な私の部分を異常だと決めつけやがったマゼンタ色のその文字に私は静かな怒りを覚えた。

 

私が「異常」とされたのは、血液脂質。つまりコレステロール値。

コレステロールには、HDL(善玉)コレステロールとLDL(悪玉)コレステロールがあるらしく、悪玉コレステロールが高いと、いわゆる動脈硬化心筋梗塞になる恐れがあるらしい。

しかし私の場合は、悪玉コレステロールが基準値を下回りすぎて数値外、逆に善玉コレステロールが高すぎるという。善玉が高いならええやん何が異常やねん!と用紙にデコピンしつつも正直内心ビビっていたので一応調べてみたところ、善玉と悪玉の数値に差がありすぎるのも問題らしい。

 

あらかじめ言っておくが私は常日頃から健康には気を使っている。

俗に言うスーパーフードはほとんど試したし、お手製グリーンスムージーでプチファスティングする日だってある。昨年はホットヨガにも通っていたし、休日の朝にはお気に入りのウェアを着てジョギングだってする。

どうだ、たったこれだけの項目を並べても私がいかに健康オタクか分かるだろう。しかもまんまとメディアに踊らされたミーハーだというスパイスも効いている。そのへんの中肉中背アマチュア武装アラサーと一緒にしてもらっちゃ困る。

 

 

 

とにかくこんだけ健康に気を遣っているこの私が再検査だなんておかしいに決まっている。

というか、会ったこともないこの私に「異常だ」とレッテルを貼りやがった薄ら禿げヤブ医者はどんな顔をしやがるのかこの目に焼き付けておこうという怒りを抱え、再度病院に出向いたのである。

 

もはやこの怒りをどこにぶつければ正当なのか分からなくなってきたが、相も変わらぬプロ並みな流れ作業を淡々とこなす愛嬌のない優しい看護師さんに番号で呼ばれ、薄ら禿げの待つ部屋に通された。

 

部屋に入って驚いた。

え、おいおいおいおい、

全然禿げてない。

むしろイケメンやん。。。

 

そこで待っていたのは、

いかにもこの近所のママと波乱な昼顔を繰り広げていそうな、東幹久 似のソース顔イケメン。(推定41歳)

私の脳内には、寝ぼけた無責任禿げちゃびんが既にイメージ化されていたため、予想を反する事の流れにいきなり出鼻をくじかれた。

 

「健康診断の結果にご不安があり、再検査ご希望ですね。」

「はい。」

「実はですね、はっきり言いますが、再検査は必要ありません。」

「えっ、、」

「善玉が多く、悪玉が低いのは健康体の証。もはや模範的です。悪玉と善玉の数値がここまで開くのは、おそらく遺伝でしょう。このままいけば、ご長寿です。」

「たぶん再検査をしても、また同じ数値が出ると思います。それにお金をかけるのは無駄ですし、やらない方向でよろしいですか?」

 

 

東幹久はニコニコと優しく私を諭し、しかも検査や薬で金を取るようなヤブ医者とは違い、無駄な金は払わなくていいとまで言ってくれた。

なんという予想外の連続。

さっきまでの行き場のない怒りはひゅるひゅるとしぼんでいき、私は東幹久の言う通りに病室を後にするしかなかった。

待合室でぼんやり待っていた時にふと目をやった本棚にあった本のタイトルは、「そのままの、あなたが素晴らしい」

混乱した。

 

 

会計の際再び番号で呼ばれ、払った金額は初診代問診代含めて850円。

 イケメン東幹久に優しく諭された代、850円。無駄な金は払わなくていいって言ったのに。この850円は、東幹久に不安と怒りを鎮めてもらった接待代と思うしかないのだろうか。

 

帰り道に、ふと思う。

そもそもこの数値は「異常」ではなかったのなら、今日のこの時間と金はなんのために使ったのか。

というか、異常と言ったはずの本人に正常だと言われて大人しく帰ってくる私は、ただのイケメンに振り回されるバカ正直な尽くすタイプの女と一緒ではないか。

 

家に帰るまでの道中に、太るからという理由でいつも避けているケーキ屋がある。若干の自暴自棄になった私は吸い込まれるようにケーキ屋のショーケースの前に行き、ガトーショコラひとつとフルーツタルトひとつとチョコクッキー一袋を買った。

コレステロール?そんなもん知らん。

血糖値の急上昇にしばし身を任せ、全てを平らげたあとには胸やけと罪悪感が残った。否定され、肯定され、心をかき乱された私を癒すのは甘いスイーツしかないのに、そいつにまで裏切られた気分だ。

 

とりあえず、乱されに乱されまくった混乱アラサーが声を大にして言いたいのは、

医者がイケメンなのは、迷惑だという事である。

錦は着てても心はボロ

自分で着る服はすべて自分で仕立て上げ、

町で一番最初にパーマネントをあて、

ヒールを履いて歩けば、派手だと後ろ指を指される。

 

そんな娘時代をおくっていた祖母は、御歳93歳。(たぶん)

60歳くらいの時趣味で始めた木彫りと水彩画は、いわば達人の域。

おばあちゃん子だった私は、この祖母の美的感覚により自然英才教育された。

 

祖母が言ってた。

「色が派手なのがおしゃれなんじゃない。色はシックにして、形が変わっているのが粋なんだよ」

幼い頃から何度も何度も耳にしてきた言葉で、今でこそこの教えの本当の意味が段々分かってきたつもりだが、お洒落おばばからしたら私なんてまだまだちんちくりんだ。おばばかっこよすぎる。越えらんねっす。

 

まあそんな祖母をきちんと見習い、高校生の時には学年で一番最初にパーマをかけたし、服を作る専門学校を3年通って、その後は当たり前のようにアパレル関係の仕事についた(売る方)

 

着飾るのが好きだ。

買い物も好き。

綺麗なものを見るのも好きだし、囲まれたいと思う。

お洒落をするとワクワク高揚するのは今も昔も万国共通だと信じているし、

そのお手伝いをするのも大好き。

というか、お洒落じゃない・美しくないのは悪だとすら思う。

 

 

 

、、ハズだった。

実は最近そんなスタイルにちょっと違和感を感じている。

クローゼットでその日着る服を選びながら、ふと思うのだ。

「私の体は一つしかないのに、なんでこんなに服がたくさんあるんだろう」

かつてその服を買った時は、いつ着ようかどんなアイテムと合わせようかと、ワクワク胸を躍らせていたはずだ。

なのに今、この鬱蒼と服にまみれたクローゼットを見てもそのワクワクが思い出せない。むしろ疲れる。今日なに着ようっ☆が、今日なに着よう,,,,とプチストレスになって蓄積される。

 

服は悪くない。服を買うというのは、未来への希望を買うのと一緒だ。自分の可能性を買うのと一緒。過去の自分はその可能性を信じて購入に至ったのに、今の自分はそれのせいでストレスを溜めている。

捨てたりもするが、服を捨てるのは過去の自分の希望や可能性を捨てているみたいでかなりエネルギーを使う。でも捨てたらまた買う。そんでまた疲れる。負のループ。いつまで続くのかと考えたらゾッとした。

着飾れば着飾るほど、買えば買うほど、自分は空っぽな気がしてきた。何のためにこんなに服を集めたのだろう。

悪いのは服じゃない。私だ。

 

先日実家に帰った際、自分が若い頃の写真を嬉しそうに私に見せながら祖母が言った。

「人と同じは嫌だったから、みんなが着物を着ている中でも洋服を着てたんだよ」

 祖母はきっと自分の服の可能性を信じていただろうし、自らのスタイルとして確立させる自信があったんだろう。嬉しそうに写真を眺めるその笑顔からは、当時の好奇心が伺える。

「あんたも自分に合った服を選んでいるし、わたしの若い頃を見ているようで嬉しい」

 

ごめんおばば。

たぶん私、英才教育、履き違えちゃったのかも。

だっておばばみたいに自分のことも服のことも大事にできてないもん。

服をたくさん持って武装するように片っ端から着飾るなんて、そんなこと教えられてないのに。

合った服、全然選べてないよ。綺麗な服着ても、中身はすっからかんなんだ。

 

 

出かける前に鏡を見る。

果たして私は、きちんとこの服を着こなせているだろうか。

写真の中の祖母のように、身も心も錦を羽織れる時は来るのだろうか。

自信がないのを埋めるように、ネックレスを一つ足して玄関を出る。

秋の風が冷たく当たる。そろそろアウターの季節だ。